■ ギャラリスト所感  
 
 ▼ Teach Your Children 「あの日の彼、あの日の彼女」 1967−1975
青春を謳歌する圧倒的な写真を目の前にし、
私は羨ましさのあまり嫉妬する。

1967年から1975年にかけて横木安良夫が撮った写真はどれも息づかいが聞こえてくるほどリアルな臨場感を醸しだしている。
友だちのような気軽さで声をかけてくるもの、囁くように話しかけてくるもの。さらに、乱暴なものいいで叫ぶものもあれば、沈黙を保ったままそれでも視線は決して外さないものなど、そのスタイルは多様である。
当ギャラリーで横木安良夫の写真と対峙し、しばらく動かない来場者を何人も見た。写真が語りかけてくる言葉に耳を傾けていたのかもしれない。意外だったのは、その時代の主役である団塊の世代と呼ばれる人たちより一回りも二回りも若い世代の方が圧倒的にその数が多かった。
一つ実証されたことがある。今回の写真展に「団塊世代の青春グラフィティー」とサブタイトルをうったが、決して団塊の世代のための写真展ではなかった。若い世代が自分の人生に重ね合わせて、自分の世代の青春グラフィティーとして捉えていたのだ。今に通じる普遍性、それは価値の変わらないもの。平たく言えば、いつの時代もカッコイイものはカッコイイのだ。そして、若者はそのライフシーンやスタイルに無条件に引き寄せられる。日本だけの現象ではない。世界共通の真理だ。
センスのいいファッション、イカしたスタイルのクルマ、アメリカの豊かさを感じる基地の暮らし、何十年経ってもその魅力は色褪せない。「憧れ」という横木安良夫の眼差しのフィルターを通したとき、その魅力はいっそう輝きを放つ。
幸いにして、その時代私はすでに小学校に上がっていたから、その時代の空気を知っている。たかだか小学生の分際で「知っている」とは生意気かもしれないが、私は自信を持ってそう言える。

日本が高度成長時代を疾走していたとき、私の家も目まぐるしく動いていた。商売を営む父は自分の身にも舞い降りてきた好景気という宝の分け前に高揚感を抑えることができず、毎晩きまって街の盛り場に繰り出した。朝帰りが日課となり、家からは家族の笑い声が消えた。とはいえ、そんな母子家庭のような環境の中にあっても物質的には何一つ不自由なく、私はいつも仕立てのよい服をあてがわれ、革靴で学校に行くことさえあった。しかし、父親不在の家はどう体裁を取り繕っても歪で、暮らしにポッカリ穴の空いたような虚無感を募らせる。私はその寂しさを紛らわそうと、当時働きながら大学の夜間部に通う叔父にまとわりついていた。そんな私を不憫と思ったのか、叔父は私をどこにでも連れて行ってくれた。叔父は20代半ばで私の父親代わりになったのだ。
その頃、叔父が乗っていた黄色のクーペの助手席は私の専用シートだった。団塊の世代の叔父が見た風景は、そのまま私の目に焼き付いた。夏の終わりのビーチ、モータボートが行き交う湖、スキー場のロッジ、海釣りの防波堤、歓声が渦巻く競馬場、深夜の高速道路、街のカフェテリア、ゲームセンター、ジーンズショップ、大学のキャンパス、そして6畳一間のオンボロアパート。給料が出ると、輸入盤のレコードを買ってきては私に聴かせてくれた。
叔父は、寝る間も惜しんで勉強と遊びにいそしんだ。興味があるものにはかたっぱしから手を出していた。懐が豊かだったわけでもなく、恵まれた環境にいたわけでもないのに、毎日が楽しくてしょうがないという風情だった。叔父は、明らかに時代に恋をしていたと思う。私は叔父が見る風景に憧れた。早く大人になってその風景を独占したいと思った。自分もクルマのハンドルを操っていつでも出かけられたらいいのにと真剣に焦がれた。

私が大学時代を過ごしたのは、バブル景気に浮かれた80年代である。学生の身分ではその恩恵にあずかれるわけもなく、私はごくごく普通の学生生活を送った。「お前の青春時代はいつだ」と問われれば、迷うことなく「大学生活を送った80年代」と私は答えるだろう。しかし、子供の頃に叔父にくっついてまわった時代の気分はただの一度も味わえなかったような気がする。比較するものではないのかもしれないが、叔父が夢中になって足を運んだ場所が私にはなかった。社会人になるとバブルはいとも簡単に弾け、狂乱のバカ騒ぎは終息した。時代は昭和から平成に変わり、未来や希望という文字が遠くに感じられるような重苦しい時代に突入していく。

横木安良夫の撮った写真には、明日を信じる力がみなぎっている。風景にもクルマにも女の子にも純粋な憧れの目が注がれている。だから、どの写真も明るい。あらかじめテーマを決めて、強引にその意図するゴールに導くような狡猾さがない分、見る側も素直な気持ちになれる。私は、子供の頃に感じた気分を久しぶりに味わいながら、忘れていた記憶の断片をつなぎ合わせる作業に夢中になる。いくつかの作品は、私のアルバムにおさめられた写真とそのまま重なり、自分の写真であるかのような錯覚さえ覚える。それほど、横木安良夫の作品が身近だということだ。写真を見る者の視線と同じ高さだから、耳を澄ませば写真の声も聞こえてくるのであろう。
写真の被写体の多くは、横木安良夫と同世代の当時の若者である。彼らは、横木安良夫のフィルムを媒介に時を経て私たちに語りかけてくる。「夢中になれるものはあるかい?」「明日を信じているかい?」と。横木安良夫の写真の前にたたずむ若者にはその声が届いている。そしてその問いかけに答えようと、自分の人生を振り返る。若者ではないが、私もその一人だ。

私は、横木安良夫の写真のおかげで叔父と一緒に見た風景との再会を果たした。しばらく忘れていた記憶が甦り、不完全だった私の大切な思い出の断片を埋めることもできた。しかし、横木安良夫の写真は私の記憶の許容を超えて、圧倒的な迫力でさらに押し寄せてくる。それでも私は横木安良夫の写真を受け止めようと必死になる。そこまでするのはなぜか。それは、私が横木安良夫の写真に嫉妬しているからであろう。自分の体験だけではまかないきれなかった青春グラフィティに今さらながら憧れの眼差しを向けている自分に気づかされる。そして、羨ましさの果てに静かな胸騒ぎを覚えるのだ。



ギャラリスト所感
by shingo okada
 
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